Cradle
※5/1に書いた下書きの投稿です
たまに買い出しに行く以外は、毎日家に籠る生活をしている。
自分は、今年は本当は進学せずに、というか一旦音楽から離れようかも迷っていた。
決して音楽をやめるとか見切りをつけるとかでなく、これまでにインプットしてきたものを色々と咀嚼して整理するために。
大学在学中は、自然と膨大な情報が入ってきていた。もちろん音楽に関しても。
できるだけ避けていたけど、人間関係に関するノイズも多かったし、他人との比較とかそういったことに疲弊してしまって、音楽が好きということにも影響が出てしまった。
結局、自分の学びのためにも、ありがたいことに親からも進学した結果音楽の道を選ばなかったとしても今学んでそれが無駄になることはないと後押ししてもらい、進学することにした。
そして今は、一人での時間の中で色々と整理することができている。
演奏のテクニックを色々試しながら細かい修正、"レッスンで誰かに見てもらう"ということを0に自分でこれまでよりも音楽の全体の流れや細部を作り上げる等…
意識
スピリチュアルとかオカルトとか思われるかもしれないけど、最近強く感じるのは、意識が向かうことのエネルギーは侮れない、ということ。
どんな分野でもそうだと思う。
例えば、野球であれば、「球が来たらただ跳ね返そう、打とう」というのと、「球が来てどこに向かって打ち飛ばそうという意識を持つ」のでは、かなり差があると思う。
音楽でも、そこにただ停滞するのか、前進していく意識を持つのかでは全く違うものになるだろう。
そういう意識のエネルギーがあるからこそ、贔屓とかでなく、人間が感動を生み出せるのではないかと考える。
Thunnus
たまには休息も大事だとかよく言われるけど、きっと自分は立ち止まるよりはずっと走り続ける方が楽なんだと思う。
自分の理想を追い求め続けるのが、結局一番楽しくて充実するんだろうとよく思う。
決して、追い求めている状態を追い求めるというわけではないけれど。
前向きな逆走
使い古した表現に、または、過去の自分に戻そうとした時、音楽は前に向かう力を失う。
元来た道へ戻ることは時には大事だが、それを意図して行うべきではない。
前に突き進んで、結果それがまた元来た道であったらという場合のみ、また新たな発見もあるだろう。
わかりやすい演奏とは
わかりやすい演奏とは、そもそもどうわかりやすいのだろうか?
「演奏者のやりたいことが理解しやすい」なのか、「抽象化、重要な部分に、よりフォーカスした聴きやすい演奏」なのか、悪い言い方をしてしまえば「(クラシックに耳が慣れていない)お客さんに媚びた演奏」なのだろうか…
僕が大学で2年間習ったピアノの先生は、よく「あなたの演奏はわかりやすくて派手だからお客さんにウケやすいのよね」などと言われていたという。一方、そういう派手な演奏だったがために、コンクールで一位を貰えなかったらしい。
「わかりやすい演奏=短絡的」だとは、僕は必ずしも思わない。
演奏者の意図やタッチ変化や要素が多すぎて、普通のお客さんでは把握しづらい、難しい演奏の方が優れているなんてことも無いと思う。
少し違う話かもしれないが、「抽象化こそ、人間の最も重要な思考機関であり、最大の武器である」と聞いたことがある。
音の一つ一つにそれぞれ意味を持たせた演奏はもちろん凄いが、難しい技巧的な曲や、現代音楽を巧みに手のひらの上で転がせて聴きやすくするのも同じぐらい凄いことだと思う。